移住の決断

少し前の話だが、オフィスに出ると同僚が今にも泣きそうな顔をしていた。話を聞くと、ベルリンにある会社からのオファーを悩みに悩んだ末、断ったのだそうだ。彼女はドイツ人だが、ウィーンに住んで10年程になる。
住居探しの難しいベルリンで完璧といっていいほどの物件に巡り会えたにも関わらず、会社からも是非あなたに来てほしいとラブコールを受けていたにも関わらず、決心がつかなかったことで答えを先延ばしにしてしまい、その間に物件も逃してしまったらしい。
これが最後のチャンスなはずはないとか、こういうのはめぐりあわせだから今は行かなくて良かったのかもしれないとか慰めの言葉をかけている間に思ったのは、移住の最難関はその最終決定を下すことにあるのかもしれないな、ということである。

私が日本からウィーンに移住したのは8年程前になるが、それは決断というほどのものではなかった。ほぼ何も考えていなかったと言ってもいいかもしれない。1年間の留学期間の間にここに住んでみたいと思ってから、どうやったらウィーンに住むことができるかということしか頭になく、住居やお金の心配はしても、日本から遠く離れるのがどういうことかしっかりと考えたことなどなかった気がする。まぁ、後先考えないというのも強みになることがあって、おかげでビザ取得の際にわけのわからない要求をされてモメたときも、仕事がなかなか見つからなかったときも、やっと見つかった仕事がビザの許可が下りなくてよもやおじゃんになりそうだったときも、余計な事は考えずに目の前の事だけに集中することができた。
この行動を、若さ故と言ってしまうことに違和感はない。人は長く生きていく間に大事なものや守りたいものが増えていくものだし、それは人だったりキャリアだったり、暮らし慣れた環境だったりすると思うが、それらによって行動が制限されることも多いからだ。私の場合、最難関の決断を若いというだけで勢い任せの「何も考えない」という、考えようによっては最強の武器で気づく間もなく乗り越えていたのかもしれない。

ドイツで働いていた頃日本人の上司と交わした何気ないやりとりで印象に残っていることがある。私がウィーンに移るため退職を願い出て、後任を探しているときのことだ。
ドイツにはワーキングホリデーのビザを利用して来る日本人がオーストリアとは比べものにならないくらい多い。それはオーストリアのワーホリ解禁が遅かったことに加えてそもそもの労働市場の規模の違いやその他色々な要因がからんでいるのだが、ウィーンからドイツに移った私は当初、学生という身分を終えて(あるいは、捨てて)仕事を持たずにいわゆる手ぶらでドイツに来る若い人達がたくさんいる状況に驚いたものである(私がウィーンに来たときは世界的に特権階級を認められる学生という身分だったからだ)。その中には日本の独文学部生を終え、長期的にドイツで働くことを希望している人も相当な割合でいた。ドイツにある日本企業で、本社の日本人と連絡を取り合いながら現地の会社とやりとりをするのが主な仕事というポジションには、まさにそういった若い人達がたくさん応募してきた。
数ある履歴書から面接に来てもらう人の選考をしていたとき、上司は「いくら言葉を勉強したからといって土台も何もない国に来て、そこでレストランで働きながらステップアップの仕事を探す彼らが理解できない。日本にいればスムーズに正社員で働き始めることができて安泰なのに」といった。いかにも「古き良き日本企業」で駐在をしている次期役員な発言で笑ってしまうが、彼からすれば素朴な疑問だったようだ。
私から見れば、会社の都合で縁も所縁もない遠くの国に問答無用で飛ばされて、愛する家族はついて来ず、会社が支給する広い郊外の一軒家で言葉を理解できないため近所付き合いすらできず友人も持たずひとりで暮らすその状況がいくら安泰でも幸せなのかは甚だ疑問だ。
大学で専攻したドイツ語が現地でどこまで通用するのか試したい、もっと向上させたいと希望し、外国人として扱われるギャップをものともせずに異国の地で家を探し、職を求め、生活をひとつひとつ作っていくガッツがある若者がいる状況は素晴らしいと思う。もし上手くいかなくて日本に戻ることになったとしてもその経験は確実に生きる力になるし、日本もこれからもっともっと日本を外から見ることができる人材が必要になる。
時代も価値観も違う中で道を選んできた上司のような人間の生き方を批判するつもりは毛頭ないが、新しい価値観と生き方を小馬鹿にして認めないのは勿体無い。

世界は広いぞ!