掃除日和

今日は朝から気持ちのいい青空が広がっていた。

遅めの朝ごはんをしっかり食べ、部屋の掃除にかかった。片づけをし、掃除機をかけ床を濡れ拭きする。トイレ、風呂場にキッチンの掃除。盛大に洗濯をし、食洗器もまわす。棚とテレビ台の埃を丁寧に取り、普段は見て見ぬふりをする本棚とパソコンも掃除機を注意深くかける。

考えてみればこんな風に週末の1日を使って部屋の掃除をするのは久しぶりだった。

オーストリアでは週に1度くらいの頻度で掃除婦を雇っている人が多い。私たちも頻度は少ないが、だいたいひと月かふた月に1度くらいのペースで来てもらっている。

日本で育った私は自分が使うスペースの掃除は自分でするのが当たり前だと思いそれを実行してきたのだが、夫と暮らし始めてから自分の世界がいかに狭かったのか思い知らされた。彼は私と会うまで掃除機すらかけたことがなかったのである。断っておくが、彼は特別裕福な家の出ではない。オーストリアではいわゆる中流家庭でも家に掃除婦を入れるのが普通なのだ。もちろん家庭の教育方針によって掃除婦を雇っていても子供に掃除をさせる人もいるだろうが、特に男性の場合は掃除をしたことがない人も珍しくないと思われる。

私が学生の頃ウィーンで初めて借りた部屋はルームシェアの一室だったのだが、キッチン、風呂場、トイレなどの共同スペースには週に1回掃除の人が入っていた。自分の部屋のみを適当に掃除しておけばよかったわけだ。ということはオーストリアでは実家に住んでいる間は親が掃除婦を雇うため自分で掃除することはなく、家を出てルームシェアをしている間も共同スペースの掃除は人任せにし、自活していけるようになると自分で掃除婦を雇うという掃除の徹底回避がなされているのかもしれない。

更に、オーストリアでは学校にも清掃会社が入るため、生徒たちは自分たちが使う教室も掃除をすることはない。トイレ掃除などもってのほかだ。自分が過ごす場所の掃除すらしたことがない人が、どうやって共同スペースをきれいに使うことを学べるというのだろう。こういう考え方は日本人特有なのだろうか。

私たちが月に1度お願いしている掃除婦はもう何年も義両親のところに通っている人で、稀に見る掃除のプロだ。彼女の手にかかれば水まわりも新調したばかりのように輝く。私も真似しようと頑張るのだが、彼女の倍の時間をかけても同じようにはならない。というわけで、部屋中をプロレベルで綺麗にしてもらい、それから1、2ヶ月は私が出来る限りその状態をキープする。いつからか忘れたが、我が家はその方法で落ち着いている。こうしてみると掃除婦を雇っているというより、部屋のメンテナンスを委託していると言えるかもしれない。

今日は夫が風呂場の掃除を受け持ってくれた。他は言うまでもなく全て私の仕事だが、出会った頃を考えると彼は物凄い進化を遂げたのだと自分に言い聞かせる。

と思ったのも束の間、風呂に入ろうと湯船に触れるとザラザラしている。努めて冷静に尋ねた所、「湯船は最近頻繁にお湯をはってるからその前に洗ってるんでしょ?必要ないと思って今日は掃除してないよ」という回答が返ってきた。

一瞬キレそうになったが、その悪気のかけらもない言いっぷりにただ失笑するしかない私。

掃除のプロの有難さが身に染みる掃除日和の日曜日なのだった。