素敵すぎるキッカケ

私は運転免許を持っていない。
日本のもないし、もちろんオーストリアでもない。
ちなみに言えば、興味もない。

これは私の両親が一度も車を所有したことがなく、車のある生活をしたことがないというのが大きいと思う。どこへ行くのも公共交通機関を使うのが当たり前だったし、もともと車という選択肢がなかったため、それを不便だと感じることもなかった。

ウィーンに住みはじめてからもその感覚は変わっていない。ウィーンは狭い街だし、地下鉄やトラム、バスが効率良く通っているため素早く目的地に到着できる。一方通行が多い市内を移動するなら車よりも自転車のほうが便がいいくらいだ。

ただ、ここ何年か夫からは免許を取れ取れと言われ続けてきた。曰く、免許を取るなら若いときのほうがいい、この先必要になったとき後悔しても遅い、等々。既にそんなに若くないという点は置いておくにしても、まぁ、尤もな意見だと思う。しかし、いかんせん嫌なものは嫌だったのでほうっておいた。そして時は流れ、「免許を取れ」だったのがいつの間にか「いつ取るのか」に進化し、いい加減ほうっておけない雰囲気になってきたときだった。免許のほうから私に近づいてくれるようなキッカケが降ってきたのだ。

外出自粛から何週間か経過しカフェやレストランがちらほら開くようになった頃から、私は家が近い友人と気晴らしも兼ねてホームオフィスならぬカフェオフィスを週に一度開催していた。お互いの家からほど近い、ウィーンらしくないアーバン系カフェでお喋りをしながら仕事をしていたとき、彼女がこの夏に免許を取ろうと思うと宣言したのだ。彼女は職業柄コロナの影響が大きく、この夏は移動も限られるし仕事の見通しがたちにくい、だから後から振り返ったときに有意義な夏だったと思えるようにしたい、と言った。なんて志にあふれた素敵な考え方だろうか。ちょっと素敵すぎやしないか。しかし、君のような友人を持った私は幸せ者である。私はすぐさまそのアイデアに便乗することに決めた。ふたりで数ある教習所から評価の良い、家からも近いところの集中コースに狙いを定め、一緒に勉強をすることにした。

あんなに嫌で避け続けてきた免許取得への道のりも、友人と一緒だと思うと自分でもびっくりするくらいハードルが下がった。長かった私の免許イヤイヤ期は終わったのだ。

そして現在、集中コースへの申し込みを済ませた時点で8割方免許を取った気になっている自分がいる。勉強せねば。